THE NEW JAPAN

HOW TAKETOMI PROTECTED ITS ARCHITECTURAL HERITAGE

竹富の人々はいかにして伝統建築を守ったか

Words: Sam Holden/Photography: Tetsuo Kashiwada

スクラップ・アンド・ビルドの国において、竹富島は統一された美意識によって人気の観光地となった。

日本の都市計画における無秩序なスクラップ・アンド・ビルドを知っているなら、竹富島を訪れると衝撃を受けるかもしれない。住民わずか320人が暮らすこのお椀型の島は、日本でも数少ない統一された建築様式を保ち続けている場所だ。島の中心部にある建物のほとんどは平屋建てで、伝統的な赤瓦の屋根の上には、魔除けのためのシーサーが配されている。それぞれの建物は、不揃いに積まれたサンゴ石を積み上げた塀と、掃き清められた白砂の小道に囲まれている。

2025年を迎えた竹富は、かつての竹富とほとんど変わらない景観を保っている。 1959年末にこの島を訪れた芸術家・岡本太郎はこう記した。「これらすべては美しい。意識された美、美のための美では勿論ない。生活の必要からのギリギリのライン。つまりそれ以上でもなければ以下でもない必然の中で、繰りかえし繰りかえされ、浮び出たものである」。この感情は今日においても真実の響きを持つ。

竹富はいかにしてこの稀有な取り組みを成し遂げたのか。物語の始まりは遠い過去に遡る。小さく資源に乏しいサンゴ礁に囲まれた島で「ギリギリのライン」は、西桟橋—島の西側に位置し、矢のように紺碧の海を貫いて西表島の峰々へと伸びる桟橋—を通っていた。この桟橋は今やサンセットを眺めたり写真映えするとして観光客に人気のスポットだが、 300年以上もの間、竹富島の人々はここと西表島をサバニで行き来していた。そこで彼らは共同で稲作に励んだ—自給のためではなく、琉球政府が八重山諸島に課した苛烈な租税を納めるた めだった。 島民はこの共同労働の精神を、農業だけでなく、建造物の建設や維持にも当てはめた。西表島で伐採した木材を船で竹富島まで曳航する。そして、台風から住居を守る「グック」 —先述したサンゴ石の塀—を築く。これら共同作業の精神は、今日でも島民が「うつぐみの精神」と呼ぶ、相互扶助の考え方の中に息づいている。

現在は竹富島地域自然資産財団の理事長を務めるコミュニティリーダー、上勢頭 篤さんは、彼の父の世代が定期的に西表へ渡り共同労働を行った最後の世代だったと語る。上勢頭さんの生家は、島で唯一現存する茅葺き屋根の家である—台風に強い赤瓦が普及するまでは茅葺きが一般的だった—。「ある日の早朝、奥の部屋で眠っていたら、顔に土が降ってきたんだよ」と彼は回想する。まだ幼い篤少年を起こすことなく葺き替え作業が始まっていたのだ。「男たちが屋根の茅をはがし、新しい材料を運び込む。女たちは彼らのために食事を作る。急いでいたのは、突然の雨に備えて、夕方までに葺き替えを終える必要があったから」。

1972年にアメリカから日本へ沖縄が返還されたとき、竹富に貨幣経済が到来した。これにより干ばつに苦しむ農家たちが、外部の投機家に土地を売るよう誘われ、時に1㎡あたりただ同然の金額で手放すこともあった。結果的に、よそ者が島全体の四分の1の土地を買い占める事態となり、上勢頭さんの父親たちはそれを存亡の危機とみなした。「村の長老たちは看板を掲げて、土地を売っても良いことは何もないと島民に言って回ったんです」と、優れた民俗博物館「喜宝院蒐集館」を運営する上勢頭立人さんは語る。 (展示される数百点の資料の中には、各世帯の共同労働への拠出金を記録するのに使われた、結び目で表す藁縄の台帳も含まれる。) 活動家たちは竹富島のビーチでのリゾート開発を阻止すると同時に、集落の実態調査も行った。茅葺きや赤瓦屋根の古い木造家屋が、近代的なコンクリート建築に置き換えられ始めていた時期だった。彼らは景観保全の取り組みが必要だと判断した。保全活動に対する島全体の合意形成には10年以上を要した。罵声と、時には石が投げつけられた。それでも最終的に、島の人々は「竹富憲章」の中核となる原則、すなわち「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」「生かす」を受け入れた。

1987年、島は悲願だった国選定の街並保存地区の地位を獲得した。新築する場合のデザインガイドラインが制定され、コンクリートおよび複数階建て建築を禁止されるとともに、歴史的建造物の修復のための助成金が使えるようになった。今日では、住民の多くが伝統的な外観を保ちつつ、住宅内では現代的な設備を享受している。 (伝統的な家屋の雰囲気を味わうには、風通しがよく開放的な間取が特徴で、保存状態の良い「旧与那国家住宅」を訪れるとよい。) 自動車が走るのは、基本的に集落を周回する新しい道路に限定され、白砂の小道は歩行者や自転車、観光客を乗せた水牛車に開放されている。

うつぐみの精神は、今も島の自治の中心にある。毎朝の島の清掃に加え、年2回、島全体の清掃を共同で行い、その際に住民・家畜・資産の実態調査を実施する。年間約50万人の観光客も、任意の入島料300円を支払うことで、島の保全に協力できる。 それでも竹富の景観保全のための取り組みは、単にこの島の観光産業の維持という側面だけでなく、より深い意義を持つ。竹富島地域自然資産財団の 阿佐伊 拓さんは語る。「島のほとんどの人がこう言うと思います。私たちが守らなければならないのは文化だと。それは、祭りを継承し、私たちの言語を後世に伝えること。竹富の町並みは、思考のあり方を反映しているんです」。

Issue No.1

The Yaeyama Islands

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