
YAEYAMA'S LAST BONITO FISHING BOAT
八重山最後のカツオ船
photo: Tatsuya Tabii/text: Tomoki Nakamuta
7月の蒸し暑い夜、零時を過ぎた石垣港。「第一源丸」の乗組員たちは釣具を準備したり、仮眠を取ったりしながら船長が姿を現すのを待っている。港に他に人影はなく、暗闇の中で「第一源丸」のライトだけがぼんやりと辺りを照らしている。乗用車で港にやってきた船長の上地肇さんが船に乗り込むと、乗組員たちはアイコンタクトで準備を始め、ものの数分で深い闇に包まれた外洋へと繰り出していく。遠くには大勢の観光客を乗せ停泊中の豪華客船だけが煌々と光を放っている。


石垣市内の居酒屋では、マグロやモズク、アカマチといった近海の魚介が人気を集める。ただし、地元の人は6~9月に漁が行われるカツオを待ち望んでいる。深夜に出港した船は午前中に漁協へ戻り、揚がったカツオをサシミ屋─沖縄では鮮魚直売店をこう呼ぶ─の女性たちが我先にと買い付ける。その日の昼には新鮮なカツオが店頭に並ぶ。新鮮だからこそ提供できるレバーやハツは、日本全国を見渡してもなかなか食べられない部位だ。 かつては波照間や鳩間でもカツオ漁が営まれており、大正時代には八重山全体で60隻ほどあったカツオ船も、今では石垣の「第一源丸」のみ。カツオ漁には活き餌(グルクンの稚魚)が欠かせないが、この餌取り自体が、数人で網を持って深い場所を泳ぎ続けるハードな漁で、人手不足や高齢化でままならなくなっている。現在、「第一源丸」の餌取りは肇船長の三男、源さんが担っている。



深夜に港を出た船は明け方頃に釣り場に到着する。仮眠を取っていた12人の乗組員たちはいつのまにか持ち場に着いている。1人が活き餌を海にばら撒き、食いついたカツオを7人が一本釣りで次々に釣り上げる。空中で針を外す熟練の技も相まって、カツオたちが自ら船に飛び込んできているようにも見える。毎秒のように釣り上げるカツオを、その場で神経締めして氷水に投げ込む。これが「第一源丸」のカツオの驚くべき新鮮さの秘訣だ。5時間ほどに及ぶ釣りの間、肇船長は言葉数こそ少ないものの、ジェスチャーなどで乗組員たちに指示を出し、魚群を見極めて船を移動させ続ける。この日はシーズン2度目の大漁だった。

10時頃に漁を終え、港へ戻る間に漁師たちは船上で朝食を取る。港に戻ると水揚げのみならず、休む間もなくカツオを捌き、島内のスーパーや沖縄本島、そして本州に出荷するための下ごしらえ作業が待っているからだ。彼らはシーズン中、台風の日を除いて毎日このスケジュールで漁に出る。ようやく港が見えてきた頃、長時間の雨風や船の揺れで疲れ果てていたカメラマンに向けて、ベテラン乗組員で船長の義理の息子でもある松岡さんは笑いかけた。「ご苦労さん、今日の海は凪で良かったね」。


Issue No.1
The Yaeyama Islands



