
Kaitō Morizono: A New Generation of Board Building
森園海斗による、新世代のボードシェイプ
Photography: Maya Tanaka/Words: Ron de Leeuw
自宅裏のシェイピングルームに舞う粉塵のなかで作業する若きサーファー。 彼は、サーフィンへの愛を、新世代の美しいボードデザインへと結びつけている。
宮崎で生まれ育った元プロサーファー、森園海斗さんがシェイプするオーダーメイドのサーフボードには、1年待ちの行列ができている。彼は宮崎で活動する数少ないハンドシェイパー兼ラミネーターの一人だが、それ以上に重要なのは、この市場の確かな空白を埋めている点だ。ミッドレングス、フィッシュ、シングルフィンといった、よりルーズで流れるようなスタイルのサーフィンのためのボードを求めるサーファーたちに、彼は応えている。 現在29歳の森園さんは、10代の頃は競技サーファーとして活躍した。しかし19歳のとき、バリでの大会の最中に、サーキットのすり減るような日々はもう十分だと、見切りをつけた。スポンサー契約を絶えず取りつけようとすることにも、過酷な遠征スケジュールに耐えることにも、うんざりしていた。また、それらの大会ではスピードと操作性を重視した、鋭いエッジと尖ったノーズを持ち、トライフィンセッティングの、薄く幅の狭いショートボードに乗ることばかりを求められた。サーフィンには、もっと別の何かがあるはずだと彼は気づいていた。 サーフィンの歴史には、さまざまな形状のボードが登場する。この競技の黎明期には、ロングボードが絶対的な存在だった。だがやがてショートボード革命が起き、より多様な波のなかでの新しい乗り方が切り拓かれた。森園さんが体得しているのは、フィッシュ、ミッドレングス、シングルフィンに乗り、そのためのボードを作り上げる技術だ。信じられないほどルーズなスタイルのサーフィンを可能にし、乗れる波の幅を広げ、はるかに多彩な乗り方を生み出す。そのどれもが、美しいシルエットを備えている。

森園さんがボードを作りはじめたのは5年ほど前で、完全に独学だ。「すべては頭のなかのイメージなんです」と彼は言う。「頭のなかで波に乗る、マインドサーフィンの感覚に似ています。ただ、思い浮かべているのはボード作りなんです」。サーフボード作りは、時に厄介さをはらむ。ポリウレタンフォーム、ファイバーグラス、ポリエステル樹脂を扱う作業は、防毒マスク、適切な換気、安定した温度と湿度管理、そして入念な清掃を要し、ともすれば危険な環境だ。森園さんのシェイピングルームに足を踏み入れると、まるでスノードームのなかに入り込んだ気持ちになる。子どもが“部屋ごと掴んで” 振ったかのように、フォームの粉塵が宙に舞っている。 「もうすぐ3つめのモデルを発表するんです」と、森園さんは4バージョン目の試作品を見せながら誇らしげに言う。「新しいデザインを商品化できると感じられるまでには、だいたい5つのバージョンが必要なんです。今回はミッドレングスのシングルフィンです」。デザインは変わっても、工程は変わらない。フォームブランクを一層ずつ削り、磨いていく、文字どおり何百もの手順から成る、儀式のように徹底された営みだ。

それはある意味で、木や石、大理石を彫り、像を削り出す作業によく似ている。サーフボードという“機能的なアート作品” は、2枚のフォーム板を接いだ塊の中に隠れている。2枚の板は、強度と剛性、そして適度なしなりを与えるために、ストリンガーと呼ばれる一本の木の細板をあらかじめ芯として挟み込み、接着されている。すべてではないが、ほとんどのボードは左右対称だ。ストリンガーの左側で行ったことは、右側でも寸分違わず同じようにしなければならない。 今のところ、彼はすべてを宮崎の自宅でこなしている。何もかもを一人でやるため、デザイン、シェイプ、サンディング、ラミネート、仕上げ までを完了できるのは、1週間にわずか1本だ。年間およそ50本。それで森園さんは、悪くない暮らしを実現できている。だが、大きな野心を抱き、注文が殺到しているいま、彼は事業拡大をより真剣に考えはじめている。真の名匠になるには、確かな観察眼と手の感覚、正確な採寸が求められる。だがそれ以上にものを言うのは、何百、何千という数のボードをひたすらシェイプしてきた、その積み重ねだ。そして森園さんは、その道を着実に歩んでいる。

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MIYAZAKI

九州の南東部に位置する「宮崎県」。全国から移住者を惹きつけるサーフィン文化や彼らが地元に根ざして立ち上げたスモールビジネスやコミュニティ、歴史ある城下町の地域デザインを取り上げます。



