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ONOMICHI

尾道という町

Photography: Hinano Kimoto/Words: Sam Holden

「ここはええところじゃ、駅へ降りた時から、気持ちが、ほんまによかった。ここは何ちうてな?」 「尾の道よ、云うてみい」 「おのみち、か?」 「海も山も近い、ええところじゃ」 ─林芙美子『風琴と魚の町』より

港町として850年の歴史を持つ尾道は、訪れる人々を迎え入れ、魅了し続けてきた。14世紀には、裕福な大名や商人たちが山腹に壮麗な寺院を建立。江戸時代には、大阪と日本海とを結ぶ海上交易路の寄港地として繁栄した。20世紀には、志賀直哉や小津安二郎といった著名な作家・映画監督がその階段や眺望を作品に描き、戦後には多くの新婚旅行客を惹きつけた。 近年、尾道は日本の中で再び存在感を増している。それは単に、しまなみ海道サイクリングロードの北の起点としてだけではない。この港町は、地方都市再生の可能性を示す生きた証左となっている。地元の大企業が観光客誘致のため大規模なインフラ投資を行う一方、移住者が空き家を改修し小規模事業を立ち上げる動きも活発だ。尾道の成功は、大きな組織から個人まで、さまざまな規模の主体が同じ方向を向いて動いているからこそ実現している。 尾道駅に降り立つと、この街特有の地形がすぐに感じ取れる。南にはフェリーやクルーズ船が行き交う尾道水道が広がり、北には傾斜の急な石段、猫が暮らす小道、木造の寺院や家々が織りなす、時が止まったかのような景観が続く。そしてその山頂には千光寺が聳え立つ。

個性豊かな人々が紡ぐ“商店街のある日常”

市街地が位置するのは、その間にある平地。長いアーケード商店街は街の広場のような役割を果たしている。アーケードの下では、いまも尾道に暮らす人々の日常が紡がれている。向島から朝の渡船で到着した生徒たちが自転車で駆け抜け、常連客が老舗喫茶「バラ屋」で朝食をとり、「めん処 みやち」のカウンターでうどんを待つ。 そんな変わらぬ風景の裏側で、ここ数十年、この街は大きく姿を変えてきた。かつて、映画監督・大林宣彦が作品の舞台にした時代は、何千人もの住民が山手に暮らし、商店街の青果店や専門店、食堂には客があふれていた。しかし1970年代以降、都市の機能が郊外へと拡大するにつれ中心市街地の人口は4分の1近くまで減少。空洞化が進んだ一方、その余白が新たな世代に可能性をもたらした。 今、古くからある店の並びに、新しいカフェやパン屋、サイクルショップ、レストラン、ホテルが次々と生まれている。事業者たちは、レトロな風景を求めて尾道にやってくる観光客を相手に、既存建築を活かしながら価値の再構築を試みている。その代表例のひとつが「大和湯」だ。かつての銭湯を、地元企業いっとくが台湾小籠包レストランへと再生させた。 商店街の一角にある2012年に開業したゲストハウス「あなごのねどこ」も、尾道の再生を語る上で欠かせない存在だ。廃校となった小学校の木製建具を再利用した空間は、「尾道空き家再生プロジェクト(通称:空きP) 」によるもの。運営もまた、空きPのメンバーが担っている。

空きPは20年近い活動を通じて、尾道特有の街並みを守りながら、歴史的建物を低家賃の店舗やイベントスペース、住居、宿泊施設へと再生。頻繁に実施するイベントやボランティア活動は、すでに改修に携わっている者や、これから挑戦しようとする者をつなぐ場としても機能し、改修に関わる人々のコミュニティを育んできた。寄せ集めの素材を活かす「ブリコラージュ」の美学は、彼らのトレードマークでもある。 ここで重要なのは、彼らのゲストハウスが外部の人間(筆者もその一人だ)にとって、尾道のリノベーション文化へ足を踏み入れる入り口となっている点だ。この街に戻り、自らの事業を始める者も少なくない。尾道のリノベーション文化の真価は、メインストリートを一歩外れた場所でこそ見えてくる。大林宣彦はかつてこう記した。「尾道は、横町ばかりの連なりでできているような町だ」 「この町を、ぶらり歩いていると、だから誰でも迷子になる」アーケード北側では山に向かって真っすぐ石段が伸び、反対の海側の路地には小さな飲食店や個性的なショップが軒を連ねる。アメリカ出身のピーター・カードとパートナーの桃子が営む古着屋「Tastemaker」もそのうちのひとつだ。以前空きPが一時的に保有していた小さな2階建ての建物を活用しており、店内のレトロな雰囲気は、扱う商品とも相性がいい。こうした古い小規模物件が数多く点在することは、改修に挑戦する店主に創造の余地と実験の舞台を与えながら、街を受け継ぐという当事者意識も生んでいる。最近店舗の屋根に雨漏りが生じた際、ピーターはこれまで賃貸だった建物を買い取ることを決意した。路地裏や山腹、かつての歓楽街・新開地区の奥にある改修された店舗は、起業を志す者にとって豊かなインスピレーションの源となるだろう。空きPのユニークなテナントには中古レコード店と4軒の書店があり、それぞれ店主の個性が色濃く反映されている。福山市出身の藤井基二が営む古本屋「弐拾dB」は、泌尿器科医院だった建物を活用した店舗で、開業から11年目を迎えた。書店としてはきわめて珍しい営業形態で、平日は午後11時から午前3時までの真夜中しか開いていない。 少しかすれて届くラジオの声と深夜貨物列車が響かせるガタガタという音が耳に響く中、戦前の書籍をめくっていると、まるで別の時代へ迷い込んだような感覚になる。だがそれこそが、2026年の尾道の姿だ。この街では小さな店が、市場最適化というよりも自己表現を追求することで成立している。結局のところ、尾道の再生とは、個性的な空間と、その可能性を見抜く創造的な人々との偶然の出会いにほかならない。

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